定時制での体験

 小学校の時いじめが原因で不登校になり、中学校も計三日ほどしか行かなかった私が、約五年ぶりに『学校』というものに通おうと思ったのは二年前のことでした。
 中学を卒業した後も高校へは行かず、フリースペースに通っていた私でしたが、その頃、だんだんマンネリ化していく、自分に都合のいい生ぬるい環境に、徐々に「このままじゃいけない、一生このままなんていやだ!」と焦りはじめていました。
 もっと自分の視野を広げ、コミュニケーション能力を高めたい。そのためには、個性・価値観・主義・主張のまるで違う人間が一堂に集まる『学校』という空間に、もう一度勇気を持って入ることが一つの方法ではないかと思ったわけです。
 定時制を選んだのは、少人数で、自分のペースで学ぶことができ、自分の生活リズムにもあっていて、さらに制服も無い、という所が私にはとてもあっていたからです。
 そんなこんなで小学校以来の『学校生活』を始めた私でしたが、久しぶりのそれは驚きと違和感の連続ばかりとなったのです。
 例えば、教科書・ノート・筆記用具すら持っていない人たち、時間割りを半年以上たっても覚えない、遅刻しても平気な顔、授業そっちのけで大声でおしゃべり、さらに先生が注意しても聴かない、等など。
 はっきり言って、「ここはほんとに高校か? こいつらほんとに高校生か??」と、かなり違和感を感じていました。私は授業を聞きたいのに、騒いでいる人を注意するたび授業が中断され、さわぎ声のせいで集中もできません。でも「うるさいから静かにしてよ!」とも言えず、「こいつらには何いったって駄目じゃん。」と早々にあきらめている自分にイラ立つ。なかなかストレスのたまる毎日です。
 そんな日々を送っているうち、様々に『自分自身』を改めて見つめ直すようになってきました。
 私は、授業を全然聴いていない人たちに対して、いつもイラ立ちを感じてしまうのです。でも、彼らにやる気が無いのは、授業がわからないからではないでしょうか。それは別に、彼らだけのせいではありません。彼らが勉強につまづいたとき、そのつまづきを解消できなかった親や学校・先生方にも責任があると言える。
 そう考えてみると、授業を聴いていない人たちばかりを責めている自分が、なんだか自己中心的な、ワガママな人に見えてくるのです。
 私のイラ立ちの原因は、周りのクラスメートとの価値観の違いによるものなんだろうと気づいてきました。例えば、学校の授業。周りの人たちはただ「高校卒業の資格」をとるために授業に出ているように見える。だから、授業に出席しても話はまるで聞いちゃいない、ということになるんだと思います。
 みんな、なんだか自分自身をあきらめちゃってるようにみえる。「自分はどうせバカだから」と決めつけ、何もしようとしない。それが私には、どうにも、歯がゆいのです。
 価値観の違いだから私にはどうしようもないし、私の価値観を他人に押し付けることもできない、とは確かに思います。しかしそれでも、その違いが、私にとってもはすごく気になる事なのです。
 実は、こういう自分が大嫌いです。自分のことばかり考えて、他人に対して「こうして欲しい、こうすりゃいいのに、バッカだなぁ!」と怒ってばかりいる、思い上がった鼻持ちならない自分が嫌いです。
 他人に対して不満を抱くと、そういう自分の嫌なところが見えて自己嫌悪に陥り、しかし他人への不満も消えず、そして延々と自己嫌悪と他人嫌悪の繰り返し。まったくどうしようもありません。
 だからこそ、私はもっと器の大きな人間になりたいのです。他人の価値観を認められる、考えることが違うからっていちいち腹を立てたりしない、穏やかな、大きく強く柔らかい心を持った人になりたいのです。そうすれば、他の人にも、もっと優しくできるようになるでしょう。そうなりたいと、いつも思っています。
 でも、何もしないでそうなれるわけじゃない。いろんな人とのコミュニケーションを通して、徐々にそうなっていくものなんだと思います。
 しかし、コミュニケーションというのも、なかなか難しいものではあります。 学校生活の、とくに友人との会話では、私はあまり自分の考えている事を言いません。「言ってもどうせ分かってもらえない。」そういうあきらめに似た気持ちが、私の心の中にはあるのです。でも、それではいけないんだと、思い始めています。自分の事を相手に伝え、そして相手の事を理解する。そういう事を、あきらめてはいけないんだと思っています。
 うちの学校では、十一月五日に文化祭があり、今、その準備をしています。準備にあたって、今まで話した事の無い人と話す機会がたくさんあると思うので、これを機に、少しでも成長できればと思っています。そして、これからの八潮高校定時制での生活を通して、成長していきたいと思っています。
 『人を理解し受け止める』という作業は、正直言って、私にはつらいし、めんどくさいし、考えただけで嫌になります。
 それでも、私はあえて自分に言い聞かせていきたいと思います。「もっと成長してみせろ」と。

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