教育って何だろう 投稿者:田井正博  投稿日: 6月24日(木)01時51分7秒

 私が都立両国高校の定時制を卒業してすでに35年になります。定時制が統廃合され、両国の80年にわたる伝統が消えてしまうのはとても残念です。私たちのような「勤労学生」が少なくなってきたことも統廃合の理由の一つになっているようですが、しかし、ここにとても大きな問題があるように思えてなりません。
 いつの時代にもかならず「弱い人間」がいると思います。私たちの頃は、「パンがまともに食べられないほど弱い人間」であって、その悩みを解決する道を求めて定時制に通いました。今の時代はどうでしょう。パンは豊富にあるかも知れません。ではどうして今の子供たちは定時制に通っているのでしょう。中には、生き方があまりに不器用なため、「精神的に弱い人間」と自覚している子もいるのではないでしょうか。そしてその悩みを解決する道を求めればこそ定時制に通っているのではないでしょうか。つまり、いつの時代にも、その時代の事情を背景にして「弱い人間」が存在するのです。定時制はその時代その時代の「悩める子供たち」のためにあるのです。私たちの時代はそれがたまたま「勤労学生」であったにすぎないのです。
 定時制の良い点は、その地域特有の環境の中で、地域ぐるみで「悩める子供たち」を見守ろうという意識が強いことです。今回の統廃合では、こうした地域に根差した教育実践が完全に否定されています。
 都立白鴎高校が中高一貫校に移行するため、学習塾を対象に説明会を開きました。両国高校もそうです。塾業界はいずれの学校も受験倍率が10倍になるだろうと予想しています。これらの一貫校に合格するには、私立受験対策をしている子供でないとまず無理であろうと囁かれています。
 都立が中高一貫校に移行する目的の一つとして、「有名国立大学への合格者を増やすこと」を掲げています。これが教育でしょうか。日比谷高校はあれだけ大騒ぎしたのにまだ結果を出していません。塾業界は白鴎高校も、両国高校も日比谷高校の二の舞だろうと冷淡な姿勢を隠しません。
 私立校はそれこそ、体制を変えることなく、独自の教育理念のもとに黙々と教育することによって、現在の結果を出しているのです。私立には私立の役割、都立には都立の役割があるのです。私立の苦労も知らずに、都立も安易に一貫校に移行しようとしているのです。東京都の教育委員会に真の教育者はいるのでしょうか。教育における「合理化」は「手抜き」を意味しています。「弱き者」に対する合理化で、彼らに未来を約束出来るのでしょうか。教育は手作りです。

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