教育委員会は何を焦る? 投稿者:田井正博  投稿日: 7月 8日(木)01時57分27秒

 今から44年前の小学6年のある日のことでした。日曜日の午後、外で遊んでいるとどの家からも大人たちがいっせいに外に飛び出し、線路に向かって走りはじめました。「どこに行くの」と聞くと、「お前も来い」とだけ言って走って行きました。私も夢中になって後を追いかけました。すでに線路の両側には人だかりが出来ていました。
 列車の煙が見えはじめると、大人たちは静かにかしこまりました。汽笛が鳴り響いた一瞬、列車の蒸気を吹き出す音に交じって、万歳三唱の波がうねりとなってこちらに押し寄せてきました。列車の中にお二人の姿が見えたとき、私も万歳を唱えていました。大人たちは皆涙を流して万歳、万歳と叫んでいました。昭和天皇、皇后両陛下の北海道巡幸の列車でした。
 今では両陛下のお姿とあの時の大人たちの光景が重なって、とても懐かしい思い出となっています。相撲の千秋楽で「君が代」を耳にするとき、自然に湧き出す光景なのです。
 現在、卒業式、入学式での「君が代」斉唱の問題で、先生たちの間に多くの処分者が出ています。生徒たちが立って歌わなければ、先生が処分されています。先生が従わなければ、校長先生が厳しく指導されているのでしょうか。
 ここにとても不思議な問題があります。ある学校の最高責任者である校長先生の下でこの問題が起こった場合です。その校長先生に対する指導が行き届いていなかったということで、はたしてだれが処分されるのでしょうか。本筋からして、教育委員会の方々の中から処分者が出なければならないのではないでしょうか。
 どうもそうではないようです。学校側と教育委員会の側との間には、たとえばまるで川があるように思えます。教育委員会の方々は自分の服を汚さずに竿か何かを使って指示を与えているように見えるのです。何か問題が発生しても責任を負わなくてもすむように、及び腰になって、竿の先で校長先生の方をトントンと叩いているように見えるのです。
 「君が代」という神聖な歌が、このような状況で子供たちに強制されていいものでしょうか。この歌と天皇とのつながりは、もちろん個人的な見解ですが、もし万が一に微塵にもその気配があるとすれば、教育委員会の現在の責任者不在の強制は国家の象徴である天皇に対する最大の冒涜だと思います。
 教育委員会は一体何を焦っているのでしょうか。教育改革の一貫としての統廃合の問題もそうです。教育は人の心に潤いと安らぎを与えるものです。ところが、今ではお父さんもお母さんも中高一貫校に関する情報を目の色を変えて求めています。人と人の間で潤滑油の働きをしている「潤い」も今は枯れ、お互いの間がギスギスしはじめているではありませんか。
 統廃合の問題は定時制だけの問題ではありません。川の向こう側から責任者の姿が見えないままで、ただ竿だけがこちらに届けられる手法で本当の教育改革はできるのでしょうか。本当に不思議です。もしかすると、「責任者はいる」とおっしゃるかも知れません。では、たとえば5年後、現在の責任者の方はそこにそのままいらっしゃるのでしょうか。そして、その時に現在の改革に対する責任を取れるのでしょうか。否。私立校と公立校の大きな違いです。このような状況で、これほど大掛りな改革をするのは本当に危険だと思います。教育委員会はどうしてこれほど改革を急いでいるのでしょうか。

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