理想とする教育環境を求めて 投稿者:田井正博  投稿日: 7月29日(木)03時21分4秒

 中高一貫校を設立する目的の一つに「(次世代の)リーダーを育てること」が掲げられています。これを読むたびに、「真の教育とは何か」と心は悩みます。
 両国には一つの言い伝えがあります。かつて、全日制と定時制が共通のテストを競い合ったことがありました。その時は、定時制の生徒がわずかな差で全日制に勝ったのですが、定時制の方が再度採点をし直して、全日制の方に「花」を持たせ、一件落着したのでした。
 それから数年経った、今から35年ほど前のことですが、私たちが仕事場から学校に行くと、全日制の生徒が黒板を前にして数学の問題に頭を抱えていました。私たちも彼らの後ろからその問題を考え、いつしか互いに問題を出し合う仲間となって行きました。今振り返っても、そこには互いに互いの存在を認め合う環境がありました。
 公立高校が未来に向かって走りつづける車であるとすれば、「全日制」と「定時制」はその両輪として欠くことの出来ないものです。一つ屋根の下で生活環境を異にする者が互いに互いの存在を認め合うことによって、結果として理想とする「リーダー」が誕生する可能性がつねにあるからです。これは私立高校と違って、公立高校のみが持てるひじょうに大きな特色です。
 現在、定時制は統廃合されることによって、この理想とする環境が失われようとしています。互いに互いの存在を認め合う環境を「創る」どころか、「弱者」を御都合主義で排除しようとしているのです。公立校が公立であればこそ持てる貴重な特色を失って、いったい何を教育哲学にしようとしているのでしょうか。
 定時制もいろいろな悩みを抱えていることは承知しています。ただ、その悩みの多くは現代の教育事情を反映した偏差値的な矛盾によって発生しているものです。その多くは互いの存在を認め合うことによって解決します。
 「優秀な者」も「伸び悩みの者」もそれぞれが一人の人間としてとても大切な存在です。公立高校はある意味では社会の縮図であり、理想とする人材を育てるための「実験」の場です。定時制を統廃合することは、このような貴重な場を棄てることを意味しています。定時制の存在は「理想とする教育環境」を構築するためのバロメーターなのです。
 学校は鉢です。その中には伝統という「土壌」があります。教育者はその土壌を耕しながら、「真の教育」を模索しています。改革とはその土壌に向かう実験家としての教育者の側からの力によって自然に行なわれるものではないでしょうか。

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